悪(ワル)の華

ボードレールは、人間を『退屈』に住む『悪』だと思っていたようです。『悪』を詠えば、人間の本質に迫れました。 『悪』はまた、衝動的で扇動的で曖昧でした。 衝動的で扇動的で曖昧なものは、おもしろおかしく好き勝手に扱えました。 『悪』は、『滑稽』にも『美』にも『神』にさえなれました。 こうして人間は、『滑稽』や『美』や『神』に変えられました。 ボードレールのやったことは、それだけのことです。では、ボードレールの言葉遊びに浸りましょう。文中、極めて不道徳で不適切な単語や表現が使用されています。予めご了承ください。

116  ※1シテール島への旅

晴れわった空の下、船がゆらゆら、

太陽に夢中になった天使のように揺れていた。

オレの気分は、まるで鳥になったように、

帆綱の周りをひらひら飛んでいた。

 

突然、目の前に陰気な島が現れた。あの島の名前は何て言うのだろうか?

すると誰かが教えてくれた。———「シテール島って言うんだよ。

歌にも歌われた有名な島だ。恋人がいないものなら誰もが行きたがるパラダイス。

しかしよく目を凝らしてご覧なさいよ。割合に荒れ果てた島だ。

 

———昔には、島の上で古代ヴィーナスの幻影が、

匂いのように漂っていた。

そして、人々を愛と官能で満たしていた。

つまり、秘密となぐさめの島だった。

 

祝福のミルトの木に抱かれ、その白い花で結ばれていた。

世界中の憧れの島だった。

その地を讃えるため息は、

バラの庭園の香りのように広がり、また、

 

山ハトのさえずりのように聞こえた。

———そのシテール島も今や、得体のしれない悲鳴が響く、

岩だらけの不毛の地になり果てたようだ。」

オレは、そこで奇妙なモノを見た!

 

決して木立に隠れる神殿などではない。

ましてや、若い尼僧が両手いっぱいに花を抱きかかえ、

裾をさばきながら歩くような、

厳かな僧院でもなかった。

 

オレの乗った船が、島の海岸スレスレをかすめ、

白い帆に驚いた鳥たちが、一斉に飛び立ったとき、

奇妙なモノの正体がハッキリ分かった。それは三本腕の絞首台だった。

不気味な糸杉のように、空に黒く浮きたっていた。

 

獰猛な鳥たちが、

絞首台の首吊り人に群がり、

その血濡れた嘴を、

腐った肉のあちこちに突き刺していた。

ふたつの目はただの穴になり果て、破れた腹から、

腸がだらりと流れ出ていた。

ガァーガァー鳴く処刑人たちは、満腹の上に、首吊り人の去勢まで終えて、

狂ったように喜んでいた。

 

絞首台の下では、四つ足の動物が、

鼻先を鳥に向けて、うらやましげな目つきで、グルグルと歩き回っていた。

その中でもとびきりデカい一匹は、

多くの手下を従えた処刑執行人のようなナリでうろついていた。

 

シテール島の住民よ! 

かくも麗しい空の下に、無残な姿をさらす迷い子よ!

ただ黙ってこの侮辱に、おぞましい儀式に、墓に横になれない苦痛に、

どうして耐えられるのだ!

 

滑稽な首吊り死体よ。お前の苦しみはオレの苦しみだ!

宙にブラブラするその四肢を見ていると、

忘れていた苦悩が胆汁になってオレの食堂を這いあがり、

口の中を酸っぱくする。

 

かつてオレの肉を啄んだカラスの嘴と、

オレの骨を齧った黒豹の顎を思い出してしまうのだ。

もはや人間の体をなしていないお前は、

この尊い思い出を持つオレをどう思うのだ?

 

———空はあくまで美しく、海は凪いでいた。

ただオレには、それ以外のモノは全部、暗く生血なまぐさいモノになっていた。

何と言うことだ! オレは分厚い死衣を身に着け、

このウソのような光景とひとつになっていた。

 

今、シテール島の断崖に、絞首台に吊るされたオレが見える。

———ああ、主よ! 願わくば驚きもたじろぎもなく、

無様にさらされたオレの心と身体を直視させる、

勇気を与えたまえ!

 

※1シテール島はギリシャにあり、古代のヴィーナスが上陸したところとされている。独身者が巡礼に行け

ば伴侶が得られると言わる。ヴァトーの『シテール島への巡礼』は有名なロココ絵画。