蛾が狂ったように飛び交う蛍光灯を、
デュランダルは見つめながら、
整髪剤とタバコのにおいの染みついた枕を頭の下に抱え、
自分の身体の表面から、蛹の殻を剝がしてくれる力強い愛撫を、想像していた。
それは、暴風の中、旅人が目を窄めながら、
けさ越えて来た地平線を振り返り、遥かかなたの、
濁りのない青空を、
探しているのに似ていた。
力のない目に浮かぶ、水のような涙、
気が抜け無防備な身体、どんよりした欲情、
ぐったりと、役にたたない武器のように投げられた腕、
そのすべてが、この少年のあやうい美しさを飾っていた。
その足元では、ローランが静かに、そして爛々と目を見開き、
デュランダルを見つめていた。
それは、まずひと噛みして、
獲物の反応をうかがう猛獣のようだった。
成熟していない者を前にして、筋肉たくましい青年は、
うっとりしながら、同時に傲慢に、
むせ返るあやうい気配を、勝者のように啜っていた。そして、何か言葉を、
頬を動かすだけの笑みでもいいから、合図を引き出そうと、身体を伸ばした。
性がもらす、声のない歌を聴き逃すまいとした。
また、まぶたの動きで、
少年の心の吐息を感じようとした。
ローランは、青ざめた子羊の瞳を、飽きず探った。
が結局、少年に反応はなかった。じれたローランは口を開いた。
———「気分はどうだ? ああ知っているよ、あの女のことは。
お前のことが好きなあの女のことは。婚約したんだよなぁ? しかし、
お前の水仙のつぼみを、枯らせてしまうかもしれない女なんだぜ。
オレの口づけは、強く鋭く熱い。
刀で、絹を裂くような感じだ。
しかし女の口づけは、糖が緩んだ飴のようで、
後味悪く、喉が渇く。それにお前は、
屋根裏を歩く者が経験するように、
蜘蛛の巣が髪や顔に絡みつき、舞い上がる埃を吸ったように気分が悪くなるだろう。それがオチさ。
可愛いデュランダル、顔を上げて輝く笑顔を見せてくれ。
オレの全部であり、半分でもあるお前、
すべてを吸い込むその瞳で、オレを見つめてくれ。
お前の息は、剥いた桃のような匂いだ、
そうだ、今日は内緒の遊びを、秘密の技巧で楽しんで、
本物の夢をプレゼントしよう」
デュランダルは、枕から頭を動かし、
———「ボクはどうすればいいのだろう。
からかい半分のちょっかいが、
彼女の自殺未遂を招いたんだ。
恐ろしい生き物の群れが襲い掛かって来て、
光りの当たらない暗い場所にボクを追い込んで、
そこは結局、目の前に大きく高い壁がある行き止まりで、
振り返ったら、あの生き物の群れがトウセンボウをしていて、
ボクは八方塞がりだ。
地面がぐらぐらしてくる。
あなたに「好き」と言われるたびに、複雑な気持ちになるけど、
ボクの唇は、どうしてもあんたに向いてしまう。
そんなにじっとボクを見つめないで、
奥さんや、まだ幼い娘さんも、そんな目で見つめるの?
あんたの目の奥に隠れているものが、破滅への罠だったとしても、
ボクは引き下がらないよ。」
ローランは、背筋が毛羽立ち、唇が震えた。
デュランダルを見つめる眼差しは、茨で抱かれ、
狭まった喉を捩じりながらこう言った。
———「なんて面倒くさいことを口にするんだ。
引き下がらないと決めたのなら、八方塞がりだなんて言わないことだ。
それに、いま、この状況で、なんで、オレの家族のことを口にするんだ。
答えの出ない不毛な問題へオレを突き落とさないでくれ。
お互いに、道徳だ倫理だなんて、持ち出さないようにしようぜ。
影と熱とを結び合わせ、陰と陽とを一緒にして、
これこそが宇宙の調和で動かせない真理だ、などと、
寝言を言うヤツらには、恋と言う真っ赤な太陽に、
暖まることは出来ない。
さあ、お前は自由だ。お望みとあらば、
死に損なったあの青白い女のもとに走るがいい。
そうすれば、世間に顔もたつだろう。
ただ、『やっぱりダメだった』と泣きっ面で、オレのところに戻ってくるのが、これまたオチだ。
この世界には、たったひとつの真実があるのみだ。本能には抗えなっていう真実だ」
すると少年は、耐えかねたように、
いきなり叫んだ、———「ボクの心と身体の空洞に、
果ても底もない空虚を、あんたの熱いモノで埋めて!
この熱をもって疼く空虚を、あんたの熱で焼き尽くして!
お尻の奥に、飢えた獣が居座って呻いている。
あんたの熱で、その獣の舌から煙を上げさせて!
『地獄の陰獣』の渇いた喉を、干からびさせて!
カーテンを閉めて、ボクとあんたを世間から切り離して。
ひとつ、ひとつと湧き上がって来る快感が、何もかも忘れさせてくれればいいのだ。
あんたの下で、ボクは消滅すればいいんだ。
あんたのチンポに墓石の硬さを感じたい!」
———堕ちろ、堕ちろ、淫蕩の犠牲者よ。
長い地獄の坂道を、どこまでも転がり落ちて行け!
底の底の、どん底に堕ちたら、
天から吹き付ける風の鞭に叩きのめされろ。
お前たちの罪が、囂々と音を立てて渦巻くだろう!
欲情にすべてが霞んだ気違いどもめ、行くとこまで行け!
そして気付くのだ、快楽に満足はないことを。
罪に罪を、どんどん重ねろ!
決して、その穴倉に、一筋の光も差し込まないだろう。
岩の割れ目から、陽炎のように、
熱病に至らせる臭い毒気が滲み出て、
お前たちの身体に染み込んでいくのだ。
お前たちの、子を孕まない不毛の遊びが、
お前たちの喉を絞り、皮膚をひび割れさせ、
そして淫欲の風が吠え、
お前たちの身体は旗のように揺れる。
すべてに耳を塞いで快楽に溺れる男たちよ、
荒野を、飢えたオオカミのようにさまよえ!
そして、気が済むまで交わればいい。
馬鹿にならなければ、本物の快楽は得られないのだから!
※1中世騎士物語『ローランの歌』による。デュランダルは、カール大帝の寵臣ローランの愛剣。デュランダルが敵の手に渡ることを恐れて岩に叩きつけて折ろうとするが、剣は岩を両断して折れなかった。